蓮華院とは、
見えないものの中にある何かに耳を澄ませる宿。
ここには、特別なものはありません。
無駄はなく削ぎ落された空間で、
何かに気付き、思い巡らせ、調和する。
そのきっかけだけが在る、そんな宿坊です。
時
自分と向き合い、何かに気付く。
何も押し付けない、強要しない。
善光寺への信仰、精神性を受け継ぎ、様々な人に門戸を開く。
蓮華院を満たすのは、素朴で穏やかな時間。
一膳から始まる宿坊の朝
私たちの心や体は、日々口にするもので形づくられています。
忙しさの中で無意識に済ませがちな食事も、食材の意味を知り、選び、 丁寧に整え、味わうことで、普段とは全く違った価値を持ちます。
気付きの糸口
蓮華院には、あなたにとって元来の真価に気付くきっかけがあるかもしれません。
掃き清められた門前、清らかなに生けられた花。顔を洗う冷たい水、焚きこまれた香の匂い、鳥の声。いつもと少し違う心で、いつもと少し違うものを見て、香って、耳にして、感じる。
あなたの余白に、何か少しの変化が訪れるかもしれません。
無心
古くから、毎朝かかさず営まれる善光寺のお朝事。
ろうそくの灯がともされ、お朝事の始まりを告げる双盤が鳴り響き、山内の各寺院から足早に僧侶が本堂に向かう。その光景は古く、長く、変わりのないもの。
少しすると静けさの中に広がる、声明や読経の声や太鼓の音。明け方の薄明かりの中、心の向くままに足を運ばれる路の先には、無心の空間。
手を合わせ、ただ身を置き、祈りの中に没頭する。
心が空になっていくような時間が、そこに在ります。
- 調心の間
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蓮華院の門をくぐると、そこには光よりも影を重んじる空間があります。
影があるからこそ、光を感じる。目には見えないものや事に気づき、自分や大切な何かの輪郭に触れる。
自己と向き合うために姿が見えない仏を参拝し、いつもと少し違う時をすごす。
宿坊本来の佇まいに、少しの快適性をほどこし再開した蓮華院には、そんな時が満たされています。